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京極堂 名言集 魍魎の匣

前エントリ、京極堂 名言集 姑獲鳥の夏から約半年以上、とても間が空いてしまいました。
大学の研究のほうもそれなりに忙しいなりに、暇な時間などはたくさんあったのですが京極堂シリーズはもとより読書から少し離れてしまっていました。
そうはいっても、魍魎の匣については去年の夏くらいには読み終わっていたのですがエントリをおこす気力みたいなものが足りませんでした。
なので、今回のエントリは鮮度的な意味ではとても低いと思われますが、読んでいる途中に「これ良い!」みたいなページには印を付けて読んでいたおかげで記憶を辿りながら書いていこうと思います。
ちなみに現在は狂骨の夢も読み終わって、4作目の鉄鼠の檻を読んでいる途中であります。
では前回と同様に、私が影響を受けたというか感心したシーンを書いていこうと思います。

京極堂シリーズを読んだ事の無い方にはこれを読んでもらって本を買ってもらえたら幸いですし、読んだ事のある方には共感した所や反対意見などを貰えたらこの上なく喜びます。

オカルトとは何か。

今回の事件はあり得ない、超常現象としか言い表せないようなものだった。
そのような事件が起きて戸惑っている関口と京極堂がオカルトの定義について議論を巡らしていた。
次第に議論は白熱し発散していきそうになり…。


京極堂「そもそも君はオカルトの本当の意味を知っていて発言しているのか?オカルトとは何と邦訳するんだ?」
関口「自分で教えたんじゃないか。確か神秘的とか、超自然的とか云う意味だろう。オカルティズムは神智学とか訳すんじゃなかったか?」
京極堂「オカルトとはそもそも「隠された」と云う意味だよ。」


この後に京極堂は、本来の意味「隠された」から現在のオカルトの意味への変遷を語る。
そしてそのあと、手品や占い、超能力などを引き合いに出してそれらはオカルトかどうかを、関口にテストし始めた。
関口は最終的に「種のある•なし」でオカルトか、そうでないかを判断する。それに対し、京極堂は…

京極堂「種のあるなしなんて関係無いんだよ。そこで区別される以上はいぜれも本来のオカルトではないんだよ。本来のオカルトは種があるかないかすら考えてはいけないものなんだ。つまり種がありますと公言している手品も、種はありませんと標榜している超能力も、オカルトとしては失格なんだよ。」
関口「では、超能力はオカルトじゃないと云うのか?」
京極堂「そうだよ。云っただろう。オカルトは秘されたものだ。種も仕掛けもありません、と口上を述べてしまった段階で、それはオカルトの箱からは出さなければならない。」

京極堂「本当の霊能者が命を賭けて守ってきたオカルトの秘儀を三流の偽霊能者があっさりと解き明かす。そんなことがあってはならない。オカルトとは語ってはならぬ、質してはならぬものなのだ。そう意味では宗教も、いや科学でさえもオカルト的な部分は抱え込んでいる、そして知っている者は弁えている。真の宗教者は、教義は語るが奇跡が起きる仕組みに就いては絶対に語らないだろう。それは神の領域に属する事だからね。それを語らずに済むように宗教は多くの喩え話を生成して来たのだ。あの世の話など本来は凡て喩えなのだ。それをまともに受けて、霊界にナントカが住んでいて、その神秘の力がどうした、そんな阿呆らしい話をするのはやはり魔物だ。」

京極堂「オカルトの本義が謎や神秘ではなく<隠されたこと>であったことには大きな意味があるのだ。オカルトが反基督や反自然科学と云う、ただそれだけのものだったなら、もっと別の名が冠されていた筈だからね。隠されているからこそ意味のあるもの、それこそがオカルトだ。」

いかがでしょうか、これを読んでオカルトに対しての認識が変わったと思います。世の中には開けてはならぬ「箱」というものが必ずあります。解明されていない物事というのは、もしかしたら様々な事情により「解明されていない状態」にされているだけなのかもしれませんね…?

確率とは何か。

普段、詭弁ばかり語っている京極堂が自分自身で物事に対し詭弁という言葉を使っている印象に残っている場面。

京極堂確率というのはね、要するに詭弁だ。中らない未来予知を如何にも中っているように見せかける数字のトリックだよ。例えば明日雨が降る確率が五割としよう。こりゃ降っても晴れても的中していることになるじゃないか」

これを読んだ後、関口と同じように「はっと」してしまいました。今まで考えた事もなかったのですが、京極堂の言う通りでした…。

動機とは何か。

犯人探しをしているなかで、アリバイが無い容疑者に対して「何故〜が殺さなければならない?」と動機の有無を問いかけるシーン。
推理ものの作品ではとても良く見かけます。このようなやり取りに対して京極堂は、今までに無いとても気持ちの良い答えを教えてくれます。

以下ネタバレ防止のため人物名の所は伏せてあります。

木場「しかし京極堂。その時の君の話に依れば、AはBの事が本当に好きだった。そうじゃないか。何故殺さねばならない?」
京極堂「さっきから聞いていると、君たちも動機至上主義のようだね?そんな動機など考えるだけ無駄だよ」
京極堂は吐き捨てるように云った。
木場「何故だ?そんなじゃあ警察も、世間も納得はしない」
京極堂「そう。動機とは世間を納得させるためにあるだけのものに過ぎない。犯罪など、こと殺人などは遍く痙攣的なものなんだ。真実しやかにありがちな動機を並べ立てて、したり顔で犯罪に解説を加える様な行為は愚かなことだ。それがありがちであればある程犯罪は信憑性を増し、深刻であればある程世間は納得する。そんなものは幻想に過ぎない。世間の人間は、犯罪者は特殊な環境の中でこそ、特殊な精神状態でこそ、その非道な行いをなし得たのだと、何としても思いたいのだ。つまり犯罪を自分達の日常から切り離して、犯罪者を非日常の世界へと追いやってしまいたいのだ。そうすることで自分達は犯罪とは無縁であることを遠回しに証明しているだけだ。

これに対して関口と木場はなんとか反論する。

関口「解らないではないが暴論だよ。犯罪に至るまでの経過を無視するなんて、それじゃあ故意も過失も一緒じゃないか」
京極堂「過失は事故だよ。末必の故意と云うのもあるだろうがね。その見極めだけはするべきだ。難しいけれどもね。」
木場「だがな京極堂、それだけでは社会の秩序は保てない。犯罪行為というのは行為自体が社会的に認められないと云う、そればかりで成り立っているのではないのじゃないのか?道徳だとか倫理だとか、そう云う目に見えぬ部分をも対象にしなければいけないのではないのか?動機を無視するなら情状酌量の余地は無くなってしまう」
京極堂「道徳観や倫理観まで法律で規制してしまってはそれは単なる恐怖政治だ。法律は行為に対してのみ有効なのだ。それに考えただけで罰せられるなら殆どの人間は罪人になってしまう。動機だけなら誰にだってあるのだ。ただ実行しないだけだ。道徳だの、倫理だの、そう云うものは法律が生み出すものじゃない。社会という化け物が、何となく創りあげるものなんだ。幻想だ」


ニュース番組のコメンテーターなどは良かれとばかりに、動機ばかりを考えていたりしますが、京極堂の話を聞くとただ自分が犯罪とは別世界にいると認識したいがためにそうしているんですね。

終わりに

いかがでしたでしょうか?
少しでも京極堂という人、京極夏彦という作家、などに興味を持ってくれたなら幸いです。

このシリーズにある知見や考え方が全て正しいとは思っていませんが、それでも新しい考え方や、それだけでなく様々な雑学が解りやすく書かれいています。特に宗教関連は凄いです。
では次のシリーズ、狂骨の夢も読み終わっていますのでまた近いうちにエントリを起こしたいと思います。
もし良かったらまた読みに来て下さい!